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県指定重要文化財(古文書)
禅長寺文書(ぜんちょうじもんじょ) 十通
指定 平成四年三月二十四日 所在地 いわき市小名浜林城字大門九所有者 所有者 禅長寺 室町時代〜安土桃山時代
禅長寺文書は、中世から近世初期にわたる文書で、その内訳は左のとおりである。
足利義晴公帖(こうじょう) 享禄元年(一五二八)閏九月一二日
岩城重隆寄進状 天文五年(一五三六)一二月一六日
足利晴氏公帖 天文一五年(一五四六)四月一日
足利晴氏公帖 天文二○年(一五五一)九月二六日
足利晴氏公帖 天文二○年(一五五一)一二月八日
足利義氏公帖 永禄七年(一五六四)一○月一五日
正親町(おおぎまち)天皇綸旨(りんじ) 天正六年(一五七八)六月二九日
正親町天皇綸旨 天正七年(一五七九)七月一二日
飛鳥井(あすかい)雅教副状 天正七年(一五七九)七月一七日
禅長寺分田畑注文 慶長九年(一六〇四)このうち、十二代将軍足利義晴の公帖(室町幕府が発給した禅宗寺院の住持の任命書)は顕材への、天正六年の正親町天皇綸旨は顕恵への、鎌倉五山建長寺住職任命をそれぞれ伝えるものであり、古河公方足利晴氏・義氏の公帖は、顕澤・顕俊.顕恵.正頤への関東十刹禅興寺住職任命を伝えるものである。
天正七年の綸旨と飛鳥井雅教副状は、禅長寺が禅宗の官寺で五山・十刹に次ぐ寺格である「諸山」の位を安堵され、勅願寺として宸筆(しんぴつ)を下賜(かし)され、扁額を許されたことを伝えている。これらの文書が伝存していることは、この寺が建長寺などと密接な関係を有し、住職を受け人れてきた事実を示している。また、禅長寺分田畑注文は、林城村内に与えられた寺領三○右の書き上げである。